認めたくなくても、認めるしかない。でも…。
障害者手帳のことを調べる
高度難聴となると、障害者手帳でいえば4~6級に該当する。
市民病院のあの女医からは「高度難聴」としか言われていないから、具体的な検査結果はわからない。
でも、あの言いっぷりからしたら難聴はもう間違いないはず。
「ABR検査の前のチェックの際、赤ちゃんなので鼓膜の方まではよく見えなかったけれど、中耳炎や耳垢の所見はなかったと聞いています。仮に中耳炎や耳垢があったとしても、ここまで悪い結果が出ることは考えられません」
って言われたもん…。
障害者手帳の請求の仕方、障害者手帳の配布のされ方、使い方、
そして、障害者手帳があることで受けられるサービスなど…
なるほど、そうか。障害者手帳を持っていることで受けられるメリットもあるのか…
考えたことなかった。
手帳がある限りずっと受けられるメリットはありがたいものだけれど、その代わりハンデとともに生きていくのは…
それが自分のこどもともなればなおさら…
やっぱり、認めるのはつらい。
なにより、なにより大切な自分のこどものことだから。
でも、進むしかない。今を生きるしかない。
自分はのうのうと音のある世界で生きているのに、そんなわたしが最愛の桃にプレゼントしたのは音のない世界…。
こんなにつらいことがあろうものか。
できるものなら、わたしの聴力を桃にあげたい。
わたしはもう、聞きたいものも聞きたくないものも耳に入る人生を送ってきた。
だから、この聴力を桃にあげられたらいいのに…
でも、そんなこと言ってられない。
そんなことしてたって、桃の聴力が戻るわけではない。
桃との会話をスムーズにするために、手話を学ぼうと思ってる。
そうだ、手話サークルを探してみよう。
手話ニュースを見て学ぶのが手っ取り早いかな。本を買ってみようかな。
落ち込んでいる姿を桃にも、家族にも見せてはいけない。
だから、そうやって前向きになるしかなかった。
「ねえ、桃ちゃん、ホントに聞こえてないの?」
今は夏休みだけれど、こども2♂&こども3♀の通う幼稚園は、夏期保育と称して夏休み中に数日間だけ保育してくれる日がある。
その夏期保育の日。
こどもたちを園に迎えに行くと、こども3♀の隣のクラスの先生が桃を抱っこしてくれた。
そして、抱っこした桃を見て
「ねえママ、桃ちゃん、ホントに聞こえてないの?なんか聞こえてそうなんだけど」
と言った。
あれ?
やっぱりそう思うのはわたしだけじゃない?
その先生の知り合いのお子さんが両耳難聴なんだとか。
そのお子さんの面倒をよく見ているようで、こどもが補聴器をつけて暮らしているスタイルをよく知っているらしい。
「桃ちゃん、周りの音を聞いてキョロキョロしてるように見えるんだけど…」
「いやね、わたしもなんか聞こえてるような気がするんですけどね…。だから、聞き取りやすい周波数があるのかもしれませんねー」
なんて話していた。
でも、でも…。
こんな話をしてしまって、桃、やっぱり聞こえてるんじゃないかなあ…という気持ちが打ち消せなくなった。
何をもって「前向き」になったといえるのかがわからなくなった。