あしたのきみに

2018.5生まれの高度難聴疑惑女子「桃」のこと。

違った角度から、24時間テレビ。

「夏といえば」のひとつ、24時間テレビ

小さい頃からなじみのある、24時間テレビ

ハンデのある人もそうでない人も、ひとつになって同じ方向に向かえる感動。

一時はその制作に疑問を持って見なかった時期もあるけれど、今回は久々にけっこう長時間見ました。

 

他人事ではない、と改めて

難聴の子たちが女芸人とともにヲタ芸を披露する取り組みを見てました。

難聴の子たちの日常と学校生活、そして練習風景…

ああ、桃もこういう生活を送ることになるんだなあ…と思いながら見ていました。

でも、それは決して悲観的なものではなかったかな。むしろ、生き生きと過ごしている姿に目からウロコが落ちたくらい。

桃の未来が少し見えた気がします。

 

今まで生きてきて、ハンデがある家族の目線として24時間テレビを見る日が来るなんて、想像もしていなかった。

なんというか、自分の身の上に起きると思っていなかったというか…

結局のところ、他人事としてしか見てなかったんだろうな。。

善人ぶって、感動したくて、それだけの理由で見ていたのかもしれない。

最低だ、わたし。

 

「幸せを届けてくれる子」

桃が難聴と診断されたことでわたしの世界が広がったことは間違いなくて、それは、間違いなく桃のおかげ。

桃を出産したばかりでまだ入院している時、わたしの部屋に来てくれたコンシェルジュさんとなんとなく身の上話をしていたら「この子はきっと響さんに幸せを届けてくれる子なんですよ」って言ってくれたっけ。

桃は産まれて間もないのに、わたしに「世界が広いこと」を教えてくれた。それだけで、もう桃はわたしに幸せを届けてくれた。

 

幸せって、いろいろだよね。

なんのハンデもなく生きることなのか、裕福に生きることなのか、望みがすべて叶えられる生き方なのか。

「貧乏だから」「山あり谷ありの人生だから」「ハンデがあるから」幸せになれないのだろうか。

そんなことないよね。

十人十色の生き方があれば、幸せのかたちも十人十色。

ハンデがない(ように見える)人からしたら、ハンデがある人のことをかわいそうとか気の毒だと思うかもしれない。

でも、ハンデがある人にしか知りえない世界があって、それはとてもとても幸せなものかもしれない。

 

ただ、どんな人でも幸せになる権利がある。

それを、24時間テレビを通して改めて心に刻めた気がします。