この頃に感じていたこと
市民病院を受診するまでに感じていたこと
2018.7 中旬頃の記録です。
確かに音に鈍感な節はあった。だから2度リファーにはある意味納得。覚悟はできてる。 とはいっても、悲観的にはなっていない。
当然、満足に産めなかった申し訳なさはあるし、不便さを抱えで生きていくことになる(かもしれない)のは桃なので、責任も感じてる。
だけど、だからといって「桃の手となり足となり…」とまでは思わない。母の愛を重たくはさせない。 桃がハンデを抱えてても、明るく元気な子になるような「子育て」と、そのように暮らせるような「サポート」に徹したい。
今回に関しては、桃を悲観して、桃の人生すべてをわたしと共にするのが正しいことではない。「都合の悪いことだけ聞こえなーい♪」と笑い飛ばせるような子に育てるのがわたしの使命だ。 片耳聞こえなくても大丈夫な桃の生活のたたき台を形成しなくちゃ。がんばれわたし。
桃。片耳難聴かもしれない。 両耳聞こえるように産めなくてごめんね。
でも、どんな桃であっても、母は桃のことを世界でいちばん愛してる。 産まれてきてくれてありがとう!
当事者は桃だから、苦労するのも桃だと思う。でも、あなたの人生はきっとそれ以上の幸せがあるよ、必ず!
人生いろいろ。 うまれつきハンデを持ってる子もいれば、後天的に何かが起きる子もいる。 人生、生きてみなきゃわからない。
でも、生きるって、思ったほど悪くない。 わたしが人生幸せだって思ったのは30過ぎだもんね。 何が起きるかわかんないんだから、笑って過ごす。そんな人でありたい。
片耳難聴、ね…。
今思えば、この頃はまだ片耳だと思ってたんだなぁ…とちょっと複雑。
だから、今はこの頃の気持ちとは少し変わってきてる。
だって、両耳難聴と診断されたんだもん…。